昼なお暗い杉並木の片隅にひっそりと建つ石碑があります。日本をこよなく愛した時代の異なる二人の外国人、ケンペルとバーニーを讃える碑です。
ケンペルはドイツ出身で、江戸時代初期、長崎・出島のオランダ商館の医師を務めました。オランダ通商使節の一員として元禄四年(1691年)とその翌年、江戸参府のため長崎と江戸の間を往復しています。彼が見聞きした日本の地理、歴史、政治、制度、宗教、生活、植物、動物等々をまとめた「日本誌」が、後の1727年にロンドンで出版されました。日本の姿を体系的に西洋に紹介した最初の書物といってよいでしょう。ケンペルが江戸に向かう途中に訪れた箱根では、地震が引き起こした地すべりにより、芦ノ湖の湖底に沈んだ杉の湖面に映し出された逆さ杉を詳細に述べた後に、箱根に生育する杉について次のような記述があります。「日本に於いて此の地の他には、かゝる種類の樹木がかくの如く高く・直に・叉美しく、かくも多數に成長する處これなし」。またケンペルは博物学者でもあり、箱根で植物採集も行いました。そのとき持ち帰ったのが箱根という名前がつくハコネシダです。このとき採集された標本は今でもロンドン自然史博物館に保管されています。イチョウのような葉を持つハコネシダ、今でも箱根で見ることができます。
一方バーニーは大正時代、芦ノ湖畔に別荘を持っていたイギリスの貿易商です。バーニーは、美しい日本を後世に伝えてほしいと願い、200年近くも前に日本の素晴らしさを看破したケンペルの「日本誌」の序文を引用した碑を、大正11年(1922年)に建てました。そこには、日本人の勤勉さや豊かな自然の恵みなどを讃える言葉が刻まれています。昭和50年(1975年)にイギリスのエリザベス女王が来日された際、宮中晩餐会の席上、女王は日英友好の歴史の証として、この序文の一節を読み上げられました。
静寂な杉並木に囲まれたこのケンペル・バーニーの碑の前で、いにしえの箱根と外国人との交流に思いを馳せてみるのもよいかもしれません。
参考文献
・ケンプェル江戸参府紀行 東京駿南社蔵版
・自然科学のとびら 第14巻3号 「箱根を越えた西洋の博物学者」
勝山輝男 神奈川県立生命の星・地球博物館
・自然科学のとびら 第20巻3号 「ケンペルの採集した植物標本」
田中徳久 神奈川県立生命の星・地球博物館
・地学雑誌 Journal of Geography 102(4) 437-444 1993 箱根の逆さ杉と南関東の大地震
大木靖衛
・あるく・見る箱根八里 田代道彌 神奈川新聞社かなしん出版
・はこね 箱根を守る会 会報80号 第34回ケンペル・バーニー祭
・箱根人の箱根案内 山口由美 新潮社 箱根は植物学の“ゆりかご”
この記事を書いた人
案内人: 畠山 義彦氏
小田原で生まれ、箱根山を見て育ち、小田原に住んでいます。
箱根観光ガイド協会に所属し、お客様にガイドを通して箱根の魅力を伝えています。
箱根大涌谷ではツアーガイドを定期的に担当しています。環境部門の技術士として自然環境保全にも取り組んでいます。